2026/4/12 日本に存在した「世界で最も自由な収容所」――板東俘虜収容所とドイツ橋の記憶


徳島県鳴門市にあるドイツ館を訪問しました。そこで出会ったのは、戦争の時代にあって国境を越えた人間愛の物語――「世界で最も自由な収容所」と呼ばれた板東俘虜収容所の記憶です。

953人のドイツ兵が暮らした「自由な収容所」

第一次世界大戦の最中、中国・青島で日本軍の捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年(1917年)から大正9年(1920年)にかけて、徳島県大麻町桧(現・鳴門市)の板東俘虜収容所に収容されました。

当時の所長・松江豊寿(まつえとよひさ)中佐は、「捕虜も同じ人間だ」という信念のもと、異例ともいえる人道的な待遇を実施。捕虜たちは農地の耕作、音楽演奏、スポーツ、さらには地域住民との交流まで許されていました。その姿はまさに「世界で最も自由な収容所」と称されるほどのものでした。

日本で初めてベートーヴェン「第九」が演奏された地

この収容所では、大正7年(1918年)6月1日、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」が日本で初めて全曲演奏されました。ドイツ兵たちによる楽団が演奏し、地元住民もその音楽を聴きに集まったといいます。現在のドイツ館には、当時の演奏会を再現したジオラマが展示されており、チェロやヴァイオリンを奏でるドイツ兵たちの姿が生き生きと伝わってきます。

地域文化への貢献――バター・チーズから楽団演奏まで

捕虜たちは単に収容されていたわけではありません。バターやチーズの製法を地元住民に伝え、博覧会を開催し、楽団による演奏会を行うなど、地元・鳴門の文化的発展に大きく貢献しました。国境を越えた人間愛と友情が、日常の暮らしの中で育まれていったのです。

帰国の証――和泉砂岩で造られた「ドイツ橋」

帰国を前にしたドイツ兵たちは、母国の土木技術を生かし、近隣で採れる和泉砂岩を使って橋を建設しました。これが「ドイツ橋」と呼ばれる遺構で、今もその場に静かに残っています。現地に立てられた案内板には、こう記されています。

「国境を越えた人間愛と友情」がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました

緑に囲まれた静かな森の中に佇むドイツ橋は、百年以上の時を超えて、その友情の証を伝え続けています。

訪問を終えて

戦争という極限状態の中にあっても、人と人が真摯に向き合えば、国籍や言語を超えた絆が生まれるという事実です。松江所長の「人道主義」と、それに応えたドイツ兵たちの誠実さ。そしてその交流を温かく受け入れた地域の人々。板東の地に刻まれた歴史を伝えていくことが、今の私たちにできることでないでしょうか。

【訪問地】徳島県鳴門市 ドイツ館・ドイツ橋(板東俘虜収容所跡)


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